スペイン紀行
スペインバルセロナでオリンピックが行われた。何年前のことか?
もう記憶も曖昧になっている。記憶にとどめるつもりがない。活躍した日本選手団の
記憶も蘇らない。ただ「メッチャ嬉しい!」と叫んだ金メダルは誰であったか…
その言葉だけがきおくに残っている。
飛行機を乗り継いでバスに乗り1日がかりで漸くバルセロナに到着。
一流ホテルのはずだが隣室の物音が煩い! 不審者侵入か!と飛び起きたほどであった。
一晩中物音に悩まされ初の海外旅行…興奮のためもあってか時差も重なって寝不足だった。
スペイン旅行は35周年記念(よくぞ長続きしたものだ)妻の計らいであった。
(フルムーン?)我らの一室からカタルニーニャ美術館が見える。
スペインの夜明けは遅い…。朝の5時頃から既に一日の活動は始まっている。往来にはバスも走る。
しかし朝日が輝き始めるのは9時頃近くになる。我らが横浜とは3時間ほども日照時間がずれている。夕刻の日没も当然遅く8時過ぎだ。
時差ボケに限らず日照時間ズレも感覚を狂わせている。
車は右側通行… バスの乗り降りも右側から乗降する。反対車線が街路樹などで仕切られているところが多い。高速道路は制限時速120km
広い国土人口密度の低い国だから車の往来も少なくスピードも出せる。… これで事故はないのか? とはじめは感心していた。
バスの中から眺めるバルセロナの光景。歴史を物語る古い建築物が建ち並ぶ。もとより建造物の名前も分からない。物珍しいおのぼりSanta、やたらデジタルカメラのシャッターを切る。これでは肝心なところでメモリー切れになるのではないか?不安を残すことになるが…失敗画像は消去していけばいいとタカをくくっている。

スペインの国民は信号を守らない。自動車が来なくても信号が青になるまで待っている日本の国民感情とは異なり赤信号でも堂々と渡る。かといって横断歩道は人間優先ではない。
バスは甲高い警笛を鳴らし(そこのけそこのけ車が通る)歩行者を蹴散らして走る。…
腰の曲がったおばあさんが横断歩道をエッチラオッチラ悠然と歩き渡る。信号が変わるが焦ることもない。そんなときは車の方が遠慮して警笛を鳴らすこともなく待ってやる。優しさも備えている。
スペインの国民は誇りが高く歩く姿も優雅である。決して走ることをしない。走る人間はドロボーと日本人だけと思っている。せわしなく走り回る日本人…狭い国土をそんなにあわててどこへ行く?。名調子の添乗さんの説明だ。… ふんふん なるほど思い当たる節はある。
マルコポーロは誰も知るアメリカ大陸発見で有名。イタリアの旅行家ベネチュアの人。スペインの大通り中央に高い石像が聳えている。スペインの英雄として祭られている。…本家イタリアではどうなのか? 知らない。
アメリカへ初めて移住したのはスペイン人か…するとアメリカ人のルーツはスペインか? 1565年スペイン人がアメリカのフロリダに植民地を建設 その後イギリスやフランスなどからも続々移民の民族が流入したわけだが… 今回のスペイン旅行とは全く関係のないこと。
西洋の歴史や地理に余りにも無関心であった。ただ遠い国…遙かな国といった印象を抱いていただけである。
もしも歴史や地理に関心を抱きスペインという国を認識していたらもっと観光に興味を抱き観光が意義あるものになっていたろう…と思う。

今更のように勉強をするつもりもないおのぼりSanta ただ異国の建造物を眺めて深い溜息(これは何を意味する?)と感嘆と驚愕を覚えるだけである。

少年老いやすく学成り難し… 既に年老いたSanta
改めて歴史書等に関心を抱くものの それも刹那の付け焼き刃。
兎に角手の込んだ石像や建築に驚かされる。建造物のいたるところに複雑な石像彫刻や石柱が建てられている。こんなのは人の一生かけてもとうてい完成させることは出来ない。
日本人の感覚は実用性を尊ぶ…芸術性は2の次である。(せちがらい世の中だ…)

町の中心部交差点は丸いロータリーになっている。車は直接右折することはない。ロータリーを一周して方向を変えるのだ。町を行く観光バスは屋根のない二階バスが走っている。これもお国柄… 歩道橋が多い日本ではとうてい考えられない事だ。お客さんが立ち上がったら歩道橋でギロチンになってしまう。 日本では二階バスも姿を消しつつある。通行に高さ制限があるからだ。

スペインでは跨線橋・歩道橋を見かけることがない。そしてコンビニは殆ど見かけない。休日もなく24時間営業なんてとうてい考えられないのである。
夜中に腹が減ったらコンビニが便利でありその存在は安心感があるが…
スペインでは そんなことを期待してはいけない。

バルセロナ紀行